はじめに、私が保育士を辞めた理由は子どもたちの心に寄り添えない自分の至らなさ、厳しい現場での状況を改善できない自分の至らなさ、子どもたちの悲しい苦しい辛いできごとを見続けることが心苦しくて辞めました。
保育士が大変な理由
とても責任が重い仕事
私は幼児教育学科の短期大学を卒業後、幼稚園で年少組を 2 年間、年中組を 2 年間、計 4 年間クラス担任をしていました。
新卒でいきなり年少組の副担任になり、学生の頃の保育実習とは違い、いきなりたくさんの責任を背負い、 毎日目の前の業務をそつなくこなすことで精一杯でした。
子どもたち一人一人が今日どんな遊びをしていたか、どんな表情だったか、どんな気持ちだったのかさえ把握しきれない新人保育者でした。
当時は年少組 35 名いて、ほとんどの子どもたちが集団生活が初めてだったので、4月5月は保育室が動物園のように鳴き声が響き渡ったり、保育室の外に逃げ出したり、おもちゃで勝手に遊びだしたり、とても保育者2 人では収拾がつかない状況を過ごしていました。
とにかく、怪我だけはさせないように。
無事に保護者に大切なお子様をお家に帰すことだけ意識していました。
幼稚園教諭、保育士資格を取得したとはいえ、新卒の私だったので、幼稚園の業務でわからないこととか知 らないこと、子どもへの対応の仕方、社会人としての基本というものもまだまだ身についていませんでした。
一緒のクラス担任をしていた先輩保育者には毎日強めに指摘され、2 学期の最終出勤日に辞表を園長先生に提出しました。
「冬休みゆっくり休んで考え直してみて」と園長先生に諭してもらい、年始からは「あと 3 ヶ月頑張れば違うクラスになれる!」と気持ちを改めて頑張っていました。
1人1人の役割や業務量が多い
今思い返せば、35 名のまとまらない子どもたちと毎日向き合って、役に立たない新人保育者の面倒も任されて、先輩保育者もいっぱいいっぱいで毎日厳しく怒ってしまったのだと思います。
2年目も年少組で主担任を任せてもらい、副担任で年配のベテラン保育者と一緒にクラス運営していきました。
穏やかな性格でベテランということもあり、私の失敗を「私も若い頃はたくさん失敗したわ。大丈夫! こういうときはね。」と色々なことを教えてくれました。
前年度の先輩保育者とは違う、ベテラン保育者の保育の仕方を見て、前年度子どもたちに無理難題を押し付けて、厳しく活動を強要してしまったことを後悔しました。
心が苦しくなる光景
1 番強く胸に残った心苦しい出来事は、給食の時間です。
苦手な食べものがあると「一口食べてみようね。」と初めは優しく声掛けするのですが、だんだんと口調が強くなり「これ食べないとデザート食べちゃダメだからね!」と子どもを泣かせるまで追い込みます。
最終的にはスプーンに一口分乗せて口の中に押し込 み、飲み込むまで子どもの目の前で先輩保育者が怖い顔をしてみています。
吐き出すと「もったいないでしょ!」また新たにスプーンに乗せて口に押し込みます。
これを毎日毎日繰り返して行い年度末には無表情で給食を食べる子どもが出来上がります。
結果としては、苦手なものを食べられるようになり、三学期は毎日給食を完食できるようになりました!」という評価になるのです。
ですが、私たちが年間計画、月案、週案、日案で立てている子どもたちのなって欲しい姿は「友だちや保育者と楽しい雰囲気の中、喜んで食事をする」ことです。
「好き嫌いせず、色んな食材を食べてみようとする」という目標もありますが、無理やり食べさせられたものを嗚咽しながら食べる」は目標ではありません。
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先輩たちとのコミュニケーション
3、4 年目は年中組を 1 人担任で受けもち、2 年目にベテラン保育者に教えてもらったことを生かしたり、自分で本やネットで学んだ子どもたちの関わり方を実践してみたり。
子どもたちが笑顔で楽しく気持ちよく幼稚園に来れるように接することを意識していきました。
先輩保育者たちからは「それじゃ舐められるよ。」「そんな優しくしてたらうまくいかないよ、もっと強く厳しくしないと。」と声をかけてもらいましたが、ベテラン保育者の保育を実際に見てきたので、そんなことはないと自信を持って保育していきました。
35 名という大人数。年中組とはいえ、まだ 3〜4歳の子どもたちです。
個性豊かで十人十色。一人ひとりに深く寄り添いたい気持ちはあるものの、日々残さなければいけない活動があります。
準備が大変なイベントごともたくさん
朝の体操、英会話、外注の体育教室、音楽の時間。
行事の時期が迫ってくると運動会やクリスマス会の練習、作品展の制作作り、季節ごとの制作などなど。
挙げ出したらキリがないほど毎日限られた短い時間でやることがたくさんでした。
どの活動も余裕があれば楽しいことで、そして夢中になって活動に参加してくれる子もいます。
ですが、それぞれ準備の時間が短いので、なかなか切り替えができず「もっとやりたい!」と次の活動を嫌がったり、逆に集団活動は好みでなく、1人で自由遊びを好む子にとっては、自由時間が朝の30 分しかないので不自由を強いられてしまいます。
「もっと遊びたかったよね、そうだよね。」と心に寄り添ったり「次の活動もこんなことやあんなこと、楽しいからやってみない?」と提案したいけど、そんなことゆっくりやってる時間もなく。
「ごめんね!次は〇〇やるんだ。やりたくなったら来てね。とりあえず先生の見えるところにいて。」と他の34人の先頭に立たなければいけないため、1 人を置いてけぼりにすることは毎日のようにありました。
そんな私の姿をみて、先生を困らせないようにしなきゃと空気を読める子どもは気を遣ってくれたり、顔色伺ってやりたくもないことをやったりいう姿も見られました。
本来のやりがいを忘れてしまう
4年間幼稚園で働いた結果、絶対王政のクラスは一見上手くクラス運営できているけれど「子ども一人一人の心は健全に成長発達できない」と私は思いました。
その後、私は保育園で少人数のクラスなら、もっとゆったりと子どもたちに関わることができるのではないかと思い、保育園へ転職しました。
別の園への転職
保育園では1歳児クラス1年間、2歳児クラスを2年間、クラス担任をしていました。
でもそこの保育園でも同じような状況でした。
人数は保育士の数と子どもの数とぴったりで、0〜2歳は特に保育士の手が必要です。
忙しい日々は変わらず、手も言葉掛けも目をかけることも足りなかったです。
1秒でも目を離したらひっくり返ってるし、泣いてるし、怪我してるし、逆にこちらが怪我させてしまっていたり。
「保育園もこんなにカオスなんだ。」と心が置いてけぼりになりました。
そこの保育園でも給食は悲惨だったのですが、他の出来事で 1 番強く胸に残った心苦しかったことは、トイレトレーニングでした。
悲しく、胸が痛んだトイトレ
2歳児クラスに進級して、高月齢の子は誕生日を迎えて3歳になります。
そろそろオムツを卒業して、パンツに移行するので、子どもたちは好きなキャラクターのパンツを保護者に買ってもらってウキウキで保育園に来ます。
「お姉さんお兄さんになったね。」と保育士に声をかけられて「うん!ママにプリキュアのパンツ買ってもらったの!」「見て!アンパンマンのパンツだよ!」と嬉しそうにしていました。
トイレトレーニング初日、昨日までオムツ履いてた子が今日からパンツで、遊びに夢中でおしっこを漏らしました。
「誰!おしっこ漏らしたの!〇〇ちゃん、なんでトイレ行かないの!」
保育室中に響き渡る声で、怒鳴られ驚く子どもたち。
怒られた子どもは泣いて翌日からはもうパンツを拒否しま した。
他の子どもたちも「漏らしたら怒られる」と分かったので履くのを嫌がったり、パンツを履いたとしても排尿したくても我慢して我慢して、おむつに履き替える午睡の前まで我慢している子もいました。
給食やトイレトレーニングで悲しい苦しい辛い思いをしている子はクラスの中の2割の子どもたちの出来事です。
他にも小さな出来事でも悲しい苦しい辛い思いをしている子はクラスの子どもの大半は経験していると感じます。
残りの2割の子は実際に直接悲しい苦しい辛い経験をしていなくても、大勢の子どもたちの出来事に間接的に関わっています。
これらの出来事は、経験しなくていい出来事だと私は思います。
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保育士はブラックすぎてやばい?許せないできごと
次年度の面談の時、保育園の園長先生に「なんで辞めるの?」聞かれました。
「子どもたちが、かわいそうで見てられないからです。」と勇気を振り絞って、震える声で言いました。
「何がかわいそうなの?」と聞かれ、全てのできごとを話しました。
「子どもは勝手に育つから。」と軽く笑った園長先生の顔を見て、怒りを通り越して呆れました。
怒号と人格を否定するような言葉が毎日飛び交うこの保育現場を見て、園長先生は勝手に育つと言い放ちました。
そりゃ給食を無理やり食べさせれば身体は勝手に育ちます。無理やり言うこと聞かせてれば歌の発表会もできるし運動会もできます。「できるようになったね!」って成長してるように見えます。
でも子どもたちの心はどうでしょうか?心は目に見えないです。
目に見えない子どもたちの小さな小さな心を私は大切に守ることができなかったです。
小さなやりがい
でもその中でも、やりがいはありました。
私なりに子どもたちに向き合い、舐められたり試し行動をされながら、少しずつ信頼を得ていきました。
「〇〇(私)先生とトイレに行く」と私の前では安心してトイレで排尿できたり、私が週のリーダーのときはパンツ履いていたり、私が一緒のテーブルで給食を食べる時にはおしゃべりが止まらないくらい笑顔で食事して苦手なものも自分から口に運んで食べてくれたり。
保護者からは「〇〇(私)先生大好きって家でいつも言ってます。」「昨日先生お休みだったんですね?うちの子ものすごく寂しがってましたよ。」などお声をいただき、最後の日には「先生でよかった。」と泣いて感謝されることもありました。
私のやり方は間違ってなかったんだ。とやりがいを感じました。
厳しさと優しさと
絶対王政の厳しい先生方も感謝されます。「厳しく指導してくださってありがとうございます。うちの子はこれくらいじゃないと言うこと聞かないんで。」と。
確かに厳しい指導も子どもによっては適している場合もあります。
でも、保護者の方たちがいない場所ではその厳しさがただの人格否定や言葉の暴力であることがあります。
ついこの間もニュースで話題になったようなことも実際に私の勤めていた保育園でもありましたが、私も含め見てみぬふりでした。
それが日常すぎて誰も、度が過ぎたことだという感覚もなくなっています。
保育の現場を離れて感じたことは、子どもたちに申し訳ない。ごめんね。って思うことがなくなって楽になったということでした。
私はもう苦しくて辛い悲しい場面を見なくていい環境に行くことはできますが、子どもたちは苦しくても辛くても悲しくて。
保護者に詳しく正確に状況を説明して「保育園行きたくない!」と言うことはできません。私は逃げることができても子どもたちはそこから逃げられないのです。
私が保育士を辞めた理由
さまざまな理由がありますが、私と同じことに悩んでいる方、保育士を本気で目指されている方。
そんなみなさんが後悔しないように。
すべてをひとくくりにはできませんが、私の経験が、何かしらの形でお役に立ちましたら、これ以上ない幸せです。
保育士は素敵なお仕事。
心からそう思えるような、労働環境が整ってほしいと願っています。
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